五斗米道布教記1


(パワーアップキット、上級、討死無し、全部非表示、初期COM兵糧+100000、戦闘で捕虜にした敵武将と自国在野武将しか登用不可、土塁ドーピング不可、異民族にショウシャと象兵不可)


時は194年。呂布陳宮に迎えられエンシュウに収まった時のことだ。
中原からは遠く離れた巴蜀の入り口であり出口でもある漢中。



毎日毎日もうすぐ病気が良くなりそうな人間を見つけては、米を配り「元気になあれ☆」と言って米を配るという奇跡っぽい演出をし始めて数年。
ようやく、多くの馬鹿が騙されてこの地に宗教は根付いてきた。
あのおっかない董卓も無く、曹操袁紹もお互いの利しか考えていない。中原でしか物を考えられない視野狭窄化したものばかり。
時は満ちた。
信徒を使ってこの世を五斗米道で埋め尽す。


が、国を見れば開発、収益、民心、兵力、全てが枯渇している。
国の限界を考えると、何故か山間の土地に関わらず、耕作適地が多いらしく、全国NO1の開発限界力を示している。


配下を見渡せば、張衛や閻圃といった面子はまあ許せるとして、
問題は楊松。
武力統率共に一桁、政治知力が30代。特技無し。
何に使えば良いのかサッパリ解らないので、開始当初は毎ターン事に洛陽へと旅立たせ玉璽を始めとする宝捜しをやらせた。
楊松は毎回のように
「くまなく探してきます!」
「お任せ下さい!」
といって出ていくが、何も見つけない。アイツ絶対酒場で酒のんでるよ。


富国強兵の合間を縫って、漢中にあると噂される「烈女伝」という壮絶な名前の書籍を探す。
閻圃曰く「吉祥が見える!」
1度たりとも成功しない。何が見えるんだよ馬鹿。
閻圃がいい加減嫌いになって来た。


8ヶ月程度に渡る富国強兵が実ったのか、陽平関には10000、漢中には20000もの兵を置いておけるようになった。
南に目を移せば、葭萌関に置かれた兵はわずか3000。
劉璋よ、ちょっと漢中の張魯を舐めてるんじゃないのか?思い知らせてくれる!


息巻いて兵を漢中に集めた。
するとそれに吊られるかのように
馬騰軍が張魯軍に開戦」
との文字が。
あのな、君等一族とは戦いたく無いんだよ。
君等ちょっと血が繋がってるからって調子にのって「そこで〇〇が突進に呼応」「それに〇〇が突進に呼応」と連鎖しすぎ。
陽平関に10000人と斉射を持った張衛。
漢中からは教祖自らが楊一族と閻圃を引き連れ20000でお出まし。
閻圃の混乱と楊一族の奮戦奮闘が鍵を握っている。
対するはセイランの馬騰馬超。馬休。


あの馬孟起がいる。


ブルブルブル、か、か、勝てるわけがない。


進行報告をみながら電源を切ろうとしたその時。
「閻圃が混乱を発動。」
の文字が。続けて
「その隙を見逃さず楊壬が奮闘。」
そのカイあってか。撃退に成功。
3000くらいの負傷兵のオマケ付き。


やべえ。閻圃にホレそうだ。


その後も馬騰とは一進一退を繰り広げるが、負傷兵の分、こちらの軍が少しずつ増えるという現象に気が付いたのか、ぱたりと攻めてこなくなる。
中原では神様仏様呂布様が曹操を滅ぼすという快挙を成し遂げ、曹操陣営を呂布袁紹とリカクが吸収した。
そしてある一匹の男が我が漢中に流れこんできた。
「虎痴」と呼ばれる男だ。
昔は黄巾に属していたらしい。
こいつ宗教が好きなのか?
痴呆なだけに頭は悪いが、力だけはある。
張衛なんぞは小指で脳漿を捻り出されそうだ。
試しに「虎痴」と読んでみたら
「その名前で呼んで良いのは曹操様だけだあ。」
と殴りかかってきた。
閻圃が糸付き5円玉を降りながら「これは曹操さま、これは曹操様」
と言ってくれなければ死んでいただろう。
とにもかくにも屈強な人間が一匹増えた。
いざ、南へ攻める時が来た。


20000と10000の部隊による攻撃に呆気なく葭萌関は落城。
大急ぎで葭萌関と陽平関に10000ずつ、漢中に20000の兵を配備し、5000を陽平関のすぐ横に作った定軍山城に篭らせた。
しばらくの富国の後、劉璋と前面戦争だ!!!









  1. ここのデザインを弄る事は、今の僕には無理だという事がしっかりと解った。

しばらくはこの「シルバー」とかいうデザインで満足してやる。

さて、「三国志9」プレイ日記でもシコシコ書こうか、と思った矢先、(http://d.hatena.ne.jp/pa_ma/)でやられてたー!
しかもはてなダイアリだし。